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法隆寺は焼けてけっこう  ~岡本太郎著:日本の伝統~ [つれづれ]

タイトルの刺激的な言葉は、本文を読み始めて
まもなく現れる。

なんという不逞!
しかし読み進めると著者の真意が腑に落ち、その
確固たる決意に胸を打たれる。

日本の伝統 (知恵の森文庫)







この本の初刊は1956年。著者は鬼才、岡本太郎
画伯である。
1949年に修理解体中の法隆寺金堂において火災
が発生し、金堂内部の柱と壁画を焼損した。
その記憶もまだ生々しい時期に書かれた文章である。

しかし著者は、この「わが国文化史上の痛恨事」を
嘆く「伝統主義者たち」を一喝して、「自分が法隆寺
になればよい」と言い切る。

この本を通じて、著者は一貫して「いわゆる」伝統的な
もの、日本的なもの、そして権威というものを徹底的に
糾弾している。

一方で彼は縄文土器のすさまじさ、緊張感に心を引き
裂かれ、尾形光琳の二つの屏風絵に「限りない希望と
情熱」を見い出し、慈照寺(銀閣寺)の銀砂灘と向月台
の「侘びてない」造形美に思いを巡らせる。

著者は、伝統や遺産が呪縛として働いている「現代
日本の文化芸術」を断固として拒絶する。

京都の街に入り、東本願寺の屋根が目に入ったとたん
に感じる、ある種の懐かしさや心地良さを一種の「麻痺
的な気分」と表現する。京都(伝統文化)の魔術の虜に
なってしまいそうな自分に気付いて戦慄し、カッと目を
見開く。

著者は、その大きく見開いた目で超「日本的、伝統的」
美観を見い出していく。
この論評がきっかけとなり、縄文式土器の再評価が
なされたのも頷ける話。
「創造者」たる岡本太郎の面目躍如である。

伝統とは、創造者が身を寄せ安住する場所なのでは
なく、オリジナリティや創造の契機に「何らかのスジを
もって意味づけられる」ものであると著者は説く。

岡本画伯の作品に共通する煌びやかで、ややをもすると
眼をそらしそうになる色使いや、常人の想像力の範疇
を超えるような造形が生まれてきた背景のヒントが
意外な所にあったのかも、と想いをはせるのも一興かも
知れない。。。

50年以上も前の論評であり、今となっては目新しさは
ないかも知れないが、いわゆる日本的(伝統的)なもの
に埋没することなしに、世界に向って何かを創造し、
発信しようとする時に、著者の鋭い一撃は心に響くもの
になるであろう。

今自分が抱えている課題に対して、これ以上の示唆に
富んだ言葉はない。



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